【特集】亡くなった小さな赤ちゃんのために。想いを込めて縫う小さなベビー服「おくるみ」

特集記事

赤ちゃんがおなかの中で成長しても、生まれる前に亡くなる「死産」。日本では、妊娠した女性の7人に1人が流産を経験し、年間約2万人の女性が死産を経験しています。

善西寺では、2018年から出産前後に大切なお子さまを亡くされたご家族をサポートする「グリサポくわな」を展開しています。2023年からはグリサポくわな内にて、亡くなったお子さまを見送るベビー服を手縫いし、医療機関に無償提供するプロジェクト「おくるみ」を立ち上げました。

今回は善西寺住職・矢田俊量(やだ しゅんりょう)とともにプロジェクトを立ち上げた大瀬康子さんにインタビューを行い、「おくるみ」の活動についてお聞きしました。大瀬さん自身も死産を経験した当事者です。子どもを失った喪失感を抱えながらも、この経験を誰かのために活かしたいと活動をスタートさせます。「おくるみ」が掲げる「こんにちはも言っていないのにさよなら言えない」という言葉に込められた意味、そしてこのプロジェクトに対する想いとは。

おくるみプロジェクトリーダー大瀬康子さん

死産を経験した後に感じた孤独

大瀬さんが子どもを亡くしたのは、妊娠30週のとき。不妊治療を経て、ようやく授かった我が子でした。

「お腹の中で赤ちゃんの心臓が止まっているのが分かって、死産となりました。病院から退院してからは実家の仏壇前で1日中過ごして、夜も母親が一緒にいてくれないと寝れないほど精神的に不安定になってしまって。ずっと家に引きこもっていましたが、2ヶ月後には産休が明けてしまう。行きたくないけど、このタイミングで無理にでも社会復帰しないとダメになってしまうと思いました」

大瀬さんにとってその時一番つらかったのは、妊婦さんを見ることでした。

「会社に行く少し前から、主人や仲の良い後輩が一緒についてきてくれて外を歩く練習をしました。でも幸せそうな妊婦さんを見ると『あそこの階段でこけたらいいのに』と怖いことばかり思ってしまうんです。そんな自分も苦しくて。テレビから流れてくる芸能人のおめでたニュースも嫌で嫌で…いまだにその方の名前を聞くと当時の感情が蘇ってきてしまうんです」

職場に復帰すると、今度は周囲の腫れ物にさわるような対応に複雑な気持ちになったと言います。

「皆さん、大丈夫?と気遣ってくれるんですがそれ以上会話は続かないし、特にお子さんがいる方たちは私の前では特に話しづらそうで。気を遣われてるなと思いながら話すのはしんどくて、次第に1人で居る方が楽だと思うようになりました」

その後も不妊治療を続けたものの、42歳のときに治療をやめ、その3年後には仕事も辞める決意をします。

「39歳で子どもができたので、まだ可能性はあると思って治療を続けていたんですが、夜遅くまで残業して帰ってきて寝て、また朝起きて…なんだか疲れちゃったんですよね。そんなとき、治療中に待合室で見た、“不妊カウンセラーという仕事があることを思い出しました。自分の経験を役に立てたい、亡くした子どもの死を無駄にしたくないという想いから、挑戦したいと思ったんです」

不妊カウンセラーの資格取得を目指して勉強を続ける中、死産・流産を経験した家族同士の交流を行う団体と出会います。

「死産の経験は人に言いづらいからこそ、同じ経験をした人たちと交流できる場は必要だと思い、スタッフとして関わることにしました。今、私と一緒にグリサポくわなで活動しているスタッフとはここで出会ったんですよ。ただ、活動を続ける中で、私たちが思っていた活動と方向性が違うんじゃないかと思い始めました。というのも、参加している人たち同士が話すというよりも、団体側の話を聞くことが中心のスタイルだったので、『子どもを亡くした気持ちを分かち合えるだろうか…』と思いながら活動を続けていました

そんな折に善西寺の住職と出会い、大瀬さんは「もっと当事者同士が対話できる場をつくりたい」と想いの丈をぶつけます。大瀬さんの話に共感した住職は、ともにグリサポくわな(グリーフサポートくわな)を立ち上げることを提案。2018年に活動がスタートしました。

グリサポくわなFacebookページ

小さな小さな赤ちゃんにも「おくるみ」を

大瀬さんが小さなベビー服と出会ったのは、大阪で行われた医療従事者に向けたグリーフケア(身近な人を亡くした悲しみや喪失感を周囲が支えること)の勉強会でのこと。会場には亡くなった赤ちゃんに着せるベビー服の型紙が置かれており、そのサイズは市販のものよりはるかに小さなものでした。

「勉強会では脳がない状態の赤ちゃんや手のひらに乗るぐらい小さな赤ちゃんなど、死産と言ってもさまざまな赤ちゃんがいることを知り、驚きました。胎児の週齢や生まれた状態によっては、市販のものを着ることはできないんですよね。だからこそ、私も小さな赤ちゃんにあったベビー服をつくりたい!と思ったんです」

裁縫が好きだったこともあり、見よう見まねでつくり始めた大瀬さん。

「助産師の方に意見を聞きながら、中に折り返しがあると赤ちゃんが痛がるだろうか、肌寒いから綿を入れた方がいいかなと試行錯誤していました。ゆくゆくは子どもを亡くした経験のある方たちにも参加してもらいたかったので、どんな方でもつくれる最善の方法を見つけたくて」

第1号の試作品

何度も改良を重ねてようやく完成した

そんな折、長年亡くなった赤ちゃんに向けて小さなベビー服をつくっている団体「天使のブティック」のことを知り、横浜を訪れます。広い会議室に子どもを亡くした経験を持つお母さんたちが集まり、ベビー服を縫っていました。中には、「我が子が天使のブティックのベビー服を着て旅立った」という若いお母さんも見えました。

「裁断済みの布の中に、その方のお子さんのベビー服と同じ布があって、『この布をください』とおっしゃっていたんです。ベビー服は手元に残らない。それならベビー服と同じ布でお母さんの手元に残るものを何かつくれないだろうかと考えました」

おくるみと同じ布でつくられるマスコット

桑名に戻ってからは天使のブティックで教わったことを踏まえて改良を重ね、ようやくベストな形が決まりました。余った布でつくったマスコットもベビー服と一緒に添えることに。グリサポくわなで制作したベビー服は「おくるみ」という名前になりました。(※以降は、グリサポくわなで製作する小さなベビー服(商品名)として「おくるみ」と表記しています)

おくるみのロゴマーク

初めは大瀬さん1人で制作していましたが、活動を続けるうちに少しづつ参加者が増え、ようやく100着完成。しかし、扱ってくれる病院が見つからず行き詰まることも。もっと早くおくるみを病院に渡していたら…という悔しい経験もしました。

「お話会に参加してくださった方が、私もつくりたいと声をかけてくれました。自分がいた病院にはおくるみがなくて、亡くなった我が子には自分でおくるみをつくったとおっしゃっていました。でも病院名をお聞きしたら…実は、おくるみを渡すことが決まっていた病院だったんです。もっと早く渡してあげられていたらと、矢田さんと一緒に悔やみました」

しかしその方は「おくるみの必要性を感じているからこそ」と積極的に活動に参加してくれ、たくさんのおくるみをつくってくれているそうです。

お母さんたちに渡されるおくるみ制作キット

広がるおくるみの輪

活動が徐々に実を結び、今では三重県、愛知県で合計7ヶ所の病院・助産施設で亡くなった赤ちゃんにおくるみを着せてあげることができるようになりました。大瀬さんは、おくるみがお母さんと病院スタッフとの絆をつくる一助になってほしいと話します。

「きっと、子どもを亡くしたばかりのお母さんとどう接していいか迷う医療スタッフもいると思います。『どの色が似合うかな?』とおくるみを一緒に選んだり、『おくるみの紐を結んであげて』と声をかけて、お母さんと子どもが触れ合えるきっかけをつくってほしいと思います」

愛知厚生連・海南病院産婦人科に「おくるみ」を納品した様子

こんにちはも言っていないのにさよならは言えない。赤ちゃんにおくるみを着せ、顔を見て話して…「こんにちは」を言える時間を大切にしたい。だからこそ、おくるみを病院に渡す際にはスタッフやドクターにどんな想いでつくっているのか、どのように渡してほしいかなど、きちんと伝えるようにしています。

「今でこそ、手形や足形をとるなど想い出を残せるようになってきましたが、私のときは何もなかったんです。でも出産後、助産師さんが少しでも長く一緒の時間を過ごせるように、赤ちゃんを私と主人のいる病室に連れてきてくれて。『赤ちゃんの名前はなんですか?』と聞いてくれたり、普通の赤ちゃんと同じような接し方をしてもらえてとても嬉しかったんですよ」

しかし、産後の対応によって病院のことが嫌いになってしまったというお母さんもいます。

「病院は赤ちゃんと過ごせる唯一の場所だからこそ、良い思い出の場所であってほしい。だからこそおくるみが病院とお母さんをつなぐ架け橋になってくれたら嬉しいですね」

いつまでも悼むことのできる場所 

現在は月に一度、善西寺にて開催されるお話し会と同時に、おくるみづくりも行っています。当事者の方たちが集まり、裁縫をしながら自分の想いを話したり聞いたり、互いに心を癒す時間となっています。

「子どもが亡くなったことは言っちゃいけないと思って、気持ちにフタをしてる人も多いんです。話してって言われても、上手く言葉にできない。でも縫い物をしながら、出産のときのこと、どんな顔の色やったか、髪の毛は生えとったか…普段では口にすることが難しい話も、ここでは素直に言える。どんな些細なことも、私たちにとっては赤ちゃんと過ごした大切な思い出なんです」

6サイズ(14cm・17.5cm・20cm・25cm・30cm・40cm)がある

「我が子との想い出を話せる場所を守っていこう」そう決意したという大瀬さん。子どもを亡くした悲しみも痛みも忘れなくていい。

「天使のブティックに訪れたとき、70代の方も参加していたんです。『50年前に子どもを亡くしたけど、息子のことを忘れた日はない』とおっしゃっていて。『もう過ぎたことなのにいつまで言っとるの』と思われるんじゃないかと周囲の目を気にしたこともあったけど、その方を見て、ずっと忘れなくていいんやって思えたんです」

亡くなった大切な我が子を思いながら、みんなでひと針ひと針、想いを込めてチクチクと縫う。この想いを込めたおくるみが、悲しみに暮れるお母さんの小さな支えになりますようにと。

ミカミユカリ

ミカミユカリ

三重県津市出身のフリーライター。名古屋で美容師として働いたのちに、大阪で化粧品会社の広報、ベンチャー企業の採用広報を経てフリーライターへ。京都市のまちづくりや求人、企業広報のインタビュー記事、観光系サービスのSNSのコンテンツ制作などを担当。

関連記事

新着記事

TOP