ワタクシゴトで恐縮だが、8年程前から仕事で善西寺の矢田住職にお世話になり、その後も途絶えることなくお世話になり、今も善西寺通信を通じてお世話になっている。毎月1回はお話をさせていただき、WEBの世界のこと、地域の動向、最近あったことなど他愛のないことも含めて一時間くらいお話をさせていただいている。
私の家系は仏教で浄土真宗。父が次男で存命のため、家に仏壇はない。熱心な信仰がある家に育ったわけではなかったので、仏教が興味の対象になることはなかった。
悲しいかな大学生のとき、大好きだった彼女にふられた。はじめての失恋で、今思えば笑えてしまう程だが、落ち込み具合がハンパなかった。心にぽかんと穴が空いた感覚をこの時に初めて味わった。失恋すると不思議なもので旅に出たくなる。私もどこか遠くに行きたくなり、四国を巡ったりしていた。そのとき音楽にハマっていて、フェスが大人気の時代。フジロックにも行った。それが影響してWoodstock Music & Art Fairがアメリカで再度始まったのを知り、ニューヨーク発のヒップホップ・グループ「Beastie Boys」などがチベタン・フリーダム活動でチベットの解放を訴えているのを知った。そしてダライ・ラマ14世の話を聞いた。今ではなぜ失恋の先にチベット仏教の影響を受けたのかはっきりと覚えておらず謎だが、何かにすがるようにチベット仏教の本を読んでいた。そのころからなんとなく、仏教が以前より近い存在に感じていた。という、ウブなちょっと変わった少年の青春のお話‥。
そして8年程前、知人を介して矢田さんに出会った。お仕事をさせていただくことになり、私なりに日本仏教について調べ続けた。宗派もいろいろあり、歴史も考え方も異なるので私の浅はかな知識では何も述べることはできないのだが、墓はどの宗派でも同じように存在している。死があることを前提に、生きることを学ぶ日本仏教。矢田さんに「善西寺通信で墓についてコラムを書きたいと思います」と話すと、ぜひにとお応えいただき今回の機会をいただいた。
矢田さんが善西寺通信で「永代供養塔 ANNON」について綴られているように、墓じまいという言葉をよく耳にするようになった。個人的に先祖の墓参りには年に数回行くし、子どもたちにも墓参りの大切さを伝えるようにしている。お参りをすれば、少し心が清らかになったように感じるし、子どもが受験に成功すれば、ご先祖様が見守ってくれていたからだと話す。墓がなければ、もしくは仏壇がなければ、先祖代々に祈る時間もなくなる訳で、個人的にそれは良くはないことだと思っている。
そのような話を矢田さんに聞いてもらったら「墓に向かって先祖代々を崇拝することはとてもプリミティブなことで、日本人的な感覚だと思います」とお応えいただいた。では世界の人たちはどんな墓に何を祈っているのだろうか。
最初に「世界の墓地/著 アラステア・ホーン/訳 大島聡子(日経ナショナルジオグラフィック)」を読んでみた。ヨーロッパでは人の形に模した墓、しゃれこうべが祠に入ったものなどがある。19世紀後半のシチリア島では、墓に供えたしゃれこうべの世話をすることで願を掛け、疫病退散を祈ったそうだ。ルーマニアの墓はとてもカラフルで、墓は故人のイラストや幾何学模様が施されている。同じくメキシコの墓もユニークで、人骨の模型にカラフルなドレスを着せて墓に供えている。インドネシアのとある部族では、歯が生える前の幼児が亡くなると、森に生えている木の幹をくり貫き、そこに遺体を供えてヤシの繊維で穴を覆っている。やがて木に亡骸が取り込まれる仕組みになっている。
個性的な世界の墓を観ると、矢田さんがおっしゃったように、日本人のようにシンプルに先祖代々を崇拝というより、世界はそれぞれの国や地域の歴史文化を元に、誰を(何を)崇拝しているかが少し違う気がする。それは神であったり、自然そのものかも知れない。ともあれ、ほとんどの国の墓は日本と同じように、墓石が墓地に並んでいる。形は十字架であったり、横長の長方形であったり。本にはすべての国が網羅されている訳ではないのだが、日本のように、縦に長い石柱(和型墓地)は見受けられなかった。
日本の墓の歴史について調べてみると、縄文・弥生時代は精霊信仰で地面に穴を掘って副葬品とともに埋葬する土抗墓、古墳時代は権力者が墓として巨大な古墳を作った。奈良・平安時代になり、死者観が宗教化して火葬になり、仏教による葬儀の文化が入ってきた。鎌倉〜江戸時代になり家制度が定着したことで墓石と家墓ができたそうだ。明治時代に公共墓地ができ、現代では合理化が進み、善西寺のような永代供養塔も増えている。現在の石柱の墓地になったのは、江戸時代に単純な自然石から「竿石」(さおいし:お墓の一番上に設置されている縦長の石のこと)を立てたことがルーツなのだそう。
話は脱線するが、墓石が縦長であるということを以前、とある海洋学者からこんな説を聞いたことがあった。日本の南にある太平洋島嶼国は、日本と同じく火山も多く、また地震や津波も多い地域。そもそも島国である日本に暮らす日本人の自然観は、アジアというより太平洋島嶼国と似ているそうだ。それは山に祈る文化だという。山に降った雨が野に流れ、海に流れ着く。その間で様々な命を育み、私たちの食材にもなっている。自然の恵みをもたらす根源である山は聖地であり、信仰の対象そのものであった。そしてまた山は、災いももたらす。だから人々は祈る必要があったそうだ。学者曰く「飼っている金魚などが死んだら、穴を掘って埋めて、山型に土を盛り棒を挿すでしょ。それをやるのって、太平洋島嶼国と一緒なんですよ」と教えてくれた。棒は縦方向に挿され、空に向かっている。
学者の先生は日本人がどこからやってきたのかを研究されている。世界有数の流れが速い海流・黒潮を操り、日本にやってきた祖先は、その後も太平洋島嶼国の国々を行き来していたそうだ。そう考えると同じ文化や自然観を共有していた可能性もある。
またまた脱線するが、私自身グラフィックデザイナーのハシクレとして、駆け出しのころに悩ましかったのが、文章の縦書き時のレイアウトだった。現代の書籍などの印刷物はほとんどが縦長だ。本来縦書きの日本語は巻物のような横長の用紙にレイアウトすると段組もなくなり、余白の空間的にもしっくりと収まる。また縦書きの本を作るときは右開き(国語の本など)、横書きは左開き。これを間違えると読み辛い本になる。どうしても文章を読ませたいデザインを考えていくと、文章は横書きより縦書きに日本語は行き着く。
そもそも日本語の文字の形状は、日本の地形で育まれたこともあり縦書きで読まれることを想定して作られてきた歴史を持っている。人の目は大陸では横に動き、山々に囲まれて暮らす島国では縦に動くそうだ。原始自然信仰だったころの日本では、山に死者の魂が還るとされていた。いまでも日本人は御礼をするとき、頭を下げる。そもそも下げるという概念が定着していること自体、珍しいと思う。
ここからは個人的思想も入るが、広大な大陸を生き抜くには戦いを経て支配を続ける必要がある。そのとき、一神教でないと戦うための人々の精神や考え方は統率できない。他方、日本は険しい自然環境で災害が多いなかで生き抜き、森羅万象の精神が根付いている。自然への畏怖や畏敬の念を持ちながら暮らさなければいけない。空を観て何かを予測したり、山に絶対的な何かを想うようにできている。日本仏教でも山や海の向こうは異世界であると人々は想像した。西の山の彼方に信仰の果てにたどり着く仏の世界があり、現世の苦悩の先にある安寧や救いの地であると説いた。
そんなことを考えていると個人的にはやはり、墓は空に伸びていくような縦型の石柱がいいなと思う。しかし矢田さんが「永代供養塔 ANNON」の記事で綴ったように、そうも言ってられない墓じまいへの時代の流れもある。
縄文時代の精霊信仰から始まり、江戸時代ころに家制度が確立され、墓という文化が続いてきた。その長い歴史のなかで、先祖を想うことが自分を救うことに繋がっているという独自の人生観を私たち日本人は身に付けてきた。大切なことは墓の形状ではなく、先祖代々を敬うという、目には見えない精神性だと思う。
家に仏壇もなく、墓を参るのも年に数回の私のような現代の生活を過ごす者において、そのような大切にすべき精神に触れるのは、やはりお墓の前が多い。そのようなことを矢田さんにお話すると、沖縄、特に奄美地方に伝わる「洗骨※」の文化を教えてもらった。
洗骨とは、遺体をいったん土葬や風葬で埋葬し、一定の期間を経て、骨を水で洗い清めること。そうすることで、大切な人との別れを時間を掛けて弔うそうだ。
矢田さんは最後に次のことを教えてくれた。「生きている限り、死は実感も理解もできません。しかし大切な人、例えば親の死を持って、死を身近に感じ、死を思考できるようになる。そういった思考の存在様式である墓は、時代によって変わっていきました。だから永代供養塔は墓じまいのセーフティーネットだと考えています」。
慌ただしい毎日のなか、常に先祖のことを考えながら生きられる人は少ないと思う。お墓があることで、そこに参る時間は家族がひとつになることができ、亡くなった先祖にみんなで想いを寄せることができる。そう感じることができるのは、ご先祖様、つまり仏様が見守ってくれているという感覚が、日々の暮らしのなかに自然と根付いている、日本らしさがあるからだと思う。
※「洗骨」は映画化もされており、死と向き合う家族の物語が綴られています。
https://x.gd/Ba5KB
