ごえんさんの「グリーフの小箱」
グリーフはごえんさんのライフワーク
ここではグリーフにまつわるよしなしごとをそこはかとなく書き留めてまいります。
まず第1回目は「グリーフソング」
back number「思い出せなくなるその日まで」
ラブソングで若者の心を捉えるback numberの2011年10月発売の3rdシングル。当時、早々とBillboardJAPANシングル・チャートで第一位にもなりましたね。
「思い出せなくなるその日まで」という題名からもイメージされる若いカップルの感傷的な失恋ソングかと思いきや、実はコレ、グリーフソングなんです。当然、本人(清水依与吏)には未確認。ただ、私は強い確信を持っているので、講義などでも引用させていただいています。ではその内容を見てまいりましょう。
1)「思い出せなくなるその日まで」Aメロ

(ごえんさんコメント)
大切な人との死別、それは、人として生まれた以上、誰も避けられない人生最大の試練です。 この対象喪失の体験によってもたらされる持続的な深い落胆・絶望・悲しみなどの情緒体験を悲嘆(グリーフ)と呼びます。誰もがこの試練の中、その辛さに生きる意味を見失います。そして大切な人のいない世界が何の変化もなく続いていることの理不尽さを感じます。そして、その世界を生きてゆかねばならない現実に途方に暮れます。
2)「思い出せなくなるその日まで」Bメロ

(ごえんさんコメント)
なんとか忘れようと願いつつも、その人と過ごした日常がよみがえってきます。寒い冬の一コマも、大切な人がそばにいれば輝いていたのに、今はただ寒いだけのもの「寒いねって言ったら 寒いねって聞こえる」その言葉も今はもうありません。取り戻せない過去を思い、現実にうちひしがれる日々が繰り返します。ちなみに、この「寒いねって言ったら 寒いねって聞こえる」は、俵万智さんの有名な短歌を思い出します。
「「寒いね」と話しかければ 「寒いね」と答える人のいるあたたかさ」( 引用:俵万智『サラダ記念日』)
3)「思い出せなくなるその日まで」サビ

(ごえんさんコメント)
サビではこのように悲しむ自分をみつめます。「記憶のすべてを消し去る事ができたとして もうそれは私ではないと思う」・・・グリーフを生きる私を肯定する自分がここにいます。そしてその理由に「私の半分はあなたで そしてあなたの半分は 私でできていたのね」という私という自己を深く見つめる姿があります。そこまで見つめればこそ「それならこんなに痛いのも 涙が出るのも 仕方がない事だね」とグリーフを受け入れる態度が立ち現れてくるのです。
2番はさらに深化していきます。
4)「思い出せなくなるその日まで」2番Aメロ

(ごえんさんコメント)
大切な人を失ってからも世界は変わらず続いていきます。時が過ぎれば忘れるわけでも、失った人が戻るわけでもありません。悲しいままの日々をただおくるだけです。しかし、この期間がグリーフワークにはとても大切なのです。「どうしようもないことをどうしようもなくしずかに受け止める」自分の中で何かが再生されてくるのを、待つ時間といえるかもしれません。そんな時間の必要性が表現されているように気がします。
5)「思い出せなくなるその日まで」2番サビ

(ごえんさんコメント)
サビの部分は一番とぼぼ同じなのですが、「幸せひとつを」が「悲しみひとつを」に、そして最後の歌詞が「仕方がない」から「私だけじゃない」に変わっています。私は長年死別体験者によるわかちあいの会を運営してきました。同じ体験をした者のみがわかりあえる自助グループの力を見つめてきました。「きっと私だけじゃないね」・・・この言葉は自らのグリーフを受け入れはじめている者の言葉だと感じます。自らの人生を受け止めるスタートです。そして視線が外に向かい始めています。グリーフを受け入れるとは、悲しみが消えることではありません。まして、元の世界に戻るわけではありません。 悲しみが悲しみのまま「それでよい」人生に出遇っていくことなのです。
きっと「思い出せなくなるその日」は訪れない・・・でも「それでよい」のです。
グリーフサポートの現場で出会う方もみなさんそう言われます。
「思い出さない日はない」
それを受け入れていくことがグリーフワークなのでしょう。私もそう確信しています。
ただ、仏さまの教えに出遇ったものは、こう信じています。
「思い出せなくなるその日」は「あの大切な人に遇える日」なんだと・・・。
私たちにはお浄土という世界が待っていてくれるのですから。私もその日を待ち望んでいます。
【ごえんんさんのおすすめ】
back number のオリジナルもいいですが、四日市出身のシンガーソングライターのMs.OOJAさんのカバーも超おすすめです。特に、間奏のヴァイオリンがエモイ♥️


