善西寺の山門をくぐり左手をみると
松と鐘楼の間に東向きに六地蔵が祀られています。

地蔵盆の日、参道より六地蔵を臨む
実はこの六地蔵、こんな由緒があります。
善西寺の西隣には旧東海道沿いを彷彿とする格子戸の旧家が建っていました。
平成21年、そのお宅の立て替えの工事中、旧家の基礎の下から1体のお地蔵さんが出土しました。
場所を移し掘り進めると、もう1体のお地蔵さんが出土し、また場所を移すと更にもう1体が!
驚いた隣家より相談を受け、善西寺がお世話になる宮大工の棟梁に伺ったところ
「昔、大切な建造物を護るためその境界にお地蔵さんを埋める習わしがあったと聞いとる。きっとそれに違いない」
とのこと。
六地蔵ならまだ埋まっているはずと、3体目が出土した後、棟梁がこのあたりにも出るはずと延長線上に等間隔(約一間)の位置を示されました。
そして、そのあたりを慎重に掘っていくと、予測の通り、次々と残りの3体が出土しました。
わたしも驚きとともに、その出遇いに鳥肌が立ちました。
確かにその配置はまさに鐘楼と山門を護るような配置だったのです。
実は善西寺は先の大戦の桑名空襲で本堂、書院、庫裏、茶室を焼失していますが、幸いにも鐘楼、山門のみ戦火を免れているのです。
出土したお地蔵さんは姿形からみて、たぶんちいさなこどものお墓として建立されたもので、カタチも大きさも少しづつ違います。
状態もかなり風化していて、かろうじて何か文字が掘ってあるのがわかる程度です。
今となってはこの六体の地蔵が、どのような理由でここに埋められたのかは判りません。
しかし、この六地蔵によって山門・鐘楼が護られたんだと気づき、いにしえのご縁に胸が熱くなりました。

戦火を免れた鐘楼と山門
そうはいっても他所の敷地から出てきたお地蔵さんです、勝手なことはできません。
ありがたいことに扱いに困った隣人が「どうぞ善西寺でお祀りしてください」とご寄贈くださいました。
喜んでお引き取りし、丁寧に泥を洗い流し仮安置後、今回の境内地整備事業で元の場所にきちんとお祀りして現在の状態となっています。
以後、毎朝、この六地蔵の前で勤行し、出遇えた感謝とともに過ごしています。

六尊それぞれに表情のあるうしろ姿
MONZENで活動するみなさまが季節ごとに赤い帽子と前掛けを縫い、お着せ替えをしてくださいます。

MONZENのつながりカフェで六地蔵の前掛けを縫うイベントも開催されます。

前掛けを縫ったみなさまで六地蔵のお衣装替え。新しい赤い帽子と前掛けに境内が厳かで華やかになります。
夏にはおてらこども食堂に併催して地蔵盆をお勤めします。

地蔵盆&おてらこども食堂のチラシ
ちいさな子らがお地蔵さんに手を合わせる姿に尊いご縁を感じます。
なにせお地蔵さんはこどもたちの守護尊でもありますから。

地蔵盆で六地蔵に手を合わせるこどもたち
このお地蔵さん国道沿いからもよく見えます。
みなさまもどうぞご来山の折にはこの六地蔵にもお参りください。

尊いいのちとの出遇い
そして、実はこの六地蔵・・・
MONZENにご縁のあるママたちからは「子授け地蔵」なのではないかとの噂もチラホラ
たしかに御利益の程は絶大なんです。
詳細は住職までお尋ねください。
まだまだほかにも御利益・・・あるかも。
